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マメラーの秋。 [食べちゃった。]
今年も、大の豆好き=マメラー の私の元へ
贅沢な秋の味覚が届きました。
丹波篠山の黒豆の枝豆
一粒一粒の大きいこと!
京都時代にお世話になった狂言師の松本薫先生からの宅配便
箱を開けると、少し土のついた枝付きのずっしり重い黒豆と、
ちっちゃな虫たちがウロウロ。虫がいるのが、“食の安心”だわぁ。
松本センセイ、ありがとうございます。
おっきいので、ちょっと食べても満腹~
茹でたても美味しいし、冷めても美味しい。旬のものってどうしてこうも凄いのでしょう。
ますます黒豆が好きになる秋です。
(こうすると、ETに激似。)
確認。 [今日のできごと。]
「ぷっすま」のバイト芸人たちが、
コップ並べとか、バイトで培った技術を披露していたので、
あたしの技術はまだ体に残っているか確かめたくて、
包んでみました。箱。
ちゃちゃっとできたので、ひと安心。まだ大丸のお歳暮の血が流れています!
但し、レジ打ちに関しては、もう体全体で忘れちゃった...
再放送♪ 聴いてねん [お知らせ]
大好評放送中!! NHK-FM 「トンコツRADIO」
(九州沖縄エリアで放送)
再放送は、いよいよ今日深夜24:00~
手前味噌ながら、プロデューサーに「絶妙。」と言わせてしまった私たち。
トン・ニーノ、鶴久政治さん、米谷。
ぜひ一度お試しくださいまし
★9月の公開生放送のオープニングの様子を動画で公開中!
http://www.nhk.or.jp/fukuoka/tonkotsu/index.html
日田へ。② <咸宜園(かんぎえん)門下生 子孫の集い> [★米谷春里先生]
そして翌日
淡窓の命日にあたる11月1日、
「咸宜園跡」にて、「淡窓祭」が開かれました。
咸宜園は淡窓の塾があったところ
平成淡窓祭は今年で14回目、淡窓会は56年目を迎えるそうです。
みなさんによる、淡窓の詩の吟詠もあったりして、
日田にいまもつづく“淡窓先生”への思いを実感しました。
幼い頃から頭が良かった淡窓さん、いずれは日田を出て(福岡など)
学びたいと思っていたそうですが、体が弱かったため、
結局日田から出ることもままならず、悩み抜いた末、日田で開塾したのです。
でも、
その、本人にとっての“不運”が
日田での隆盛になるわけですから、
何が幸運につながるのかわからない!
なんとも不思議な気がします。
日田へ。① <咸宜園(かんぎえん)門下生 子孫の集い> [★米谷春里先生]
江戸時代後期から明治時代にかけて、多くの「できる男」らを輩出した
大分・日田の私塾「咸宜園」。
塾を開いた、儒学者・広瀬淡窓のもとに集まった門下生は、
実に約5000人にのぼるそうです。
10月31日(日)、大分県日田市豆田町で
その門下生の“子孫”の集いが開催されるとご案内いただき、
米谷家からは7人の大所帯で参加してきました~
受付で配らた名札です。
「の子孫です」って自己紹介するの、初めて
まずは 淡窓が初めて塾を開いた場所「長福寺」にて。
いただいた冊子の中に載っていた「月旦評」(成績の席次)に・・・
あった
「米谷辰二郎」(春里) このとき、まだ五級なり。(最終的には、最高級・九級へ)
このあと日田・豆田町の町並みを散策。
豆田の町並みは昔とあまり変わらないそうで、
淡窓さんも、春里さんも、仲間と語らいながら散策したのかも、と思うと、より楽しい。
夜の懇親会は、「秋子想(ときこそう)」のところにある「アプロディール紙音」にて
米谷家のメンバーもお互い情報交換できました。
親戚が冠婚葬祭以外で集まることって、最近無いからな~
かなり充実した、ありがたい時間でした。
実は、この「子孫の集い」、前回は10年前だったそうで、
今回私が参加できたのは、偶然のことなのです
というのも、
今年8月1日、日田で南こうせつさんのコンサートがあるからと出かけて、
せっかくだからと「廣瀬資料館」に見学に行ったら、
館長さんから「どうして来たの?」と尋ねられ、
「あの・・・先祖がここの門下生で。」と言ったら、「じゃあ、住所書いて!」となって、
「今年、子孫の集いをするという話があるから、その時は連絡します!」と。
それが今回に至る、ということなんです。
偶然?それとも必然?
これまで、いろんな米谷家の人々が廣瀬資料館に見学に行ったのに、
たまたま、今年、というキセキ!
さて、翌日は「淡窓祭」に参加です。 (→つづく)
(咸宜園跡にある紅葉。ほんのり秋色です)
スピリチュアルとか。 [「よねこのしっぽ」]
旅雑誌を見たら、「スピリチュアル・スポット」がいっぱい載ってて
あちこち行ってみたい気もするけれど、
あちこち行き過ぎるのもどうだろう~とか思って、結局行かず...
でもね、最近思うんですけどね、
我が家の「お墓」が、自分にとって最大のスピリチュアル・スポットなのかも。
幼い頃は、「何で石に手を合わせるんだろ???」と思っていたけど、
大人になって、その墓石の下にある空間に
いくつもの骨壷が安置されているのを見せてもらってからは、
先祖が想像するものではなく、そこに「確実に存在する」と実感しました。
私が生きているのは、
先祖のひとりひとりが生きてくれたからだ、と
物理的に思うようになったのです。
お墓に行くと、
おじいちゃん、おばあちゃんをはじめ何人も入っているので、
ちょっと“賑やかな”雰囲気すら感じます。
ちなみに、霊感は全くないです~
お墓はデートスポットにはならないけれど、
スピリチュアル・スポットとしては、かなりアリなのではないかなぁ
と思ったりしています。
今日も、先祖に感謝することから始めてみたいと思います。
中洲の夜。 [福岡もいいクサ。]
ごほうび。
中洲に行けたので、やっぱ 【珉珉(みんみん)】
http://yonekofrom2005.blog.so-net.ne.jp/2010-04-11
レバニラと、塩やきそば、生ビール(小)で ¥1800
極上の時間をカウンターにて。
地味~に見えるでしょ。これが味わい深くておいしいの~
あ~ 暇さえあれば、毎日いきたい。
秋の大仕事。 ~オール立命館校友大会2010 in 福岡~ [今日のできごと。]
立命館大学出身の米谷です
先週、秋の大仕事を無事に終えることができました。
1200名の諸先輩に囲まれてのアシスタント司会。
そりゃ、放送の方が“視聴者”は多いわけですが、
なにせ、「先輩」ですから、妙なリラックスと、変な緊張感がありました。
<オール立命館校友会2010in福岡>
(キャナルシティ福岡のグランドハイアット福岡にて)
立命館のOB・OGの集まり=校友会というのは
全都道府県など各地にあるのですが、
その全国集会が、初めて九州で開催されたのです。
だから、総長や、校友会会長、
そして先輩方も全国各地から福岡入り。
かつてお世話になった宮崎校友会の先輩方も出席で、
次々に「米谷さ~ん!」と声をかけてくださり、
なんだか、涙が出そうに嬉しい
今度、ゆっくり遊びに行かせていただきます。
口てい疫で大きな被害を受けた宮崎からは、
支援の感謝の意と、「がんばってます!」というメッセージをこめて、
「日向ひょっとおこ踊り」が会場を練り歩く
私に投げKISSしてくれたひょっとこさんが
お面を取ると、かわいらしいおじいちゃまだったのには、ビックリ!
とても和やかな笑いに包まれました。
今回、校友会のHPで、校歌や、グレーター立命を復習してみて
改めて気付いたのは、歌詞のすばらしさ。
http://alumni.ritsumei.jp/song/index.html
校歌の「伏す目に清しや」なんて、なんともよい風景。
それに、応援歌の冒頭、
「空はさながら青春の 胸の雄図(ゆうと=雄大な計画)の象(すがた)なり」
は、こんな力強く若者を後押しする歌だったのか、と、今ごろ気付く...。
大人にならないと気付かないことって
恥ずかしながら、やはり、あるものですね
実際のところ、クラス会でもない、サークルOBでもない、県単位の集まりでもない、
全国の「校友大会」ってどんな存在なのだろうとのだろう? と疑問に思い、
それを解き明かすのも目的のひとつだったのですが、
わかった!
1200名もの「仲間」とともに語らい、先輩・後輩の活躍を知り、
大いに校歌を歌うという、その空気が、
私に活力を与えてくれました。きれいごとじゃなく、マジです。
それはまるで「お正月の親戚の集まり」。
特に集まらなくても血縁であることに変わりはないのだけれど、
「お正月だから親戚に会いに行く。いろいろ話してお屠蘇飲んで、笑って、帰る。」みたいな。
親戚の子供の成長に目を細め、
おじいちゃんの思い出を語らう、という年に一度の大切な行事。
ぶっちゃけ無くても死なないんだけど、
絶対あった方がイイ! あった方が健全
立命館の校友(卒業生)のみなさん、
機会があればぜひ一度、全国大会に出かけてみてください。
大人になった今では触れることが減ってしまった、
非常にプラスの「空気」がそこにはあるのです。