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マカオの刺激 ③なぜ、マカオに? [観光地巡ります。]

「どうして、マカオに??」
「マカオって、なんか面白いモノ、あるの??」
「マカオ、どこ?」

とよく聞かれます。

旅行先に決めた理由は
「日本からいちばん近いヨーロッパだから!」

1999年の中国返還まで、マカオはポルトガルだったんだよ、
と言うと驚く人が意外と多いです。

フェリーターミナルの出口の表示は
IMGP2744.jpg
中国語&ポルトガル語表示だし、

喫煙者は罰金があるという案内にもポルトガル語。
IMGP2463.JPG
(日本語訳がちょっとかわいらしい)

マカオは
中国第4の大河・珠江(しゅこう)を挟んで、香港の西側に位置し、
約450年もの間、ポルトガルの統治下にあったのです。

・昔から貿易港として栄えていたマカオに
・1513年(日本は室町時代) 初めてポルトガル人が訪れる
・1557年、海賊に悩まされていた明が、討伐に協力してくれたポルトガル人に居留権を与える
・1887年(明治時代) ポルトガルの植民地となる
・1999年12月20日、中国に返還
  返還後も50年間は、特別行政区としてマカオが自治権を持つ。


どうしてポルトガルがここまでやって来たのかと言うと、
香辛料貿易をするために、インド(1510)、そしてマラッカ(マレーシア・1511)を
占領したポルトガルが、その手を広げた先にマカオがあったのです。
この3都市を経由して長崎(日本)との貿易がすすみ、
カステラ、カボチャ、テンプラ、シャボン、生糸、象 etc...が日本へ。
よーく考えると、私の周りにもポルトガル貿易出身のモノがあるある!

ちなみに、
あのフランシスコ・ザビエル(スペイン人だけど)の布教活動の重要な地点だったり、
(ザビエルは最期、マカオ近くの島で生涯を閉じた)
日本初の公式ヨーロッパ訪問団「天正遣欧少年団」(伊東マンショら)が
立ち寄ったりしています。


というわけで、意外に日本と関わりがある場所。

そして、町並みは、中国とポルトガルがミックス!
IMGP2552.jpg
左側は中国的、右側はポルトガル的。
見事に共存。味わい深いです。

戦時中も中立地として戦火を逃れたそうで、
16世紀の教会などの建物が残っています。
東西の建造物や文化が完全保存されている希少な場所として
世界遺産に登録された場所は、全部で30!多いっ!
(歴史的建造物22と、8ヵ所の広場)

食べ物だって、中国料理にポルトガル料理、
そして、融合したマカオ料理があったりして、
小さな土地だけど、いろんなものがギュッと濃縮されている場所なのです。


マカオの魅力、伝わってきてます?
前置きが長くてすみません~
今度こそ、めくるめくマカオの世界をっ!

→つづく


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コメント 2

村田友紀

いつ行ってたんですかー?
私も夏休みにいってました♪マカオ☆
by 村田友紀 (2012-08-26 19:32) 

yoneko

友紀ちゃん→コメントありがとう♪
あら~!奇遇だね~!
私は7月31日から2泊だよん
by yoneko (2012-08-26 21:14) 

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